ネジマキな日々

ただの独り言です。

賢者たらんと明日を占う

「占い」
  根拠のない分類で根拠なく人の類型を探ろうとする試み。そう思いこんでいた時もある。それを信じ右往左往する日々を送ることは愚かであるとも。

世に「占い」と呼ばれるものは数多存在するが、よく観察すると本質的には僅かなものに集約される。

  • ひとつ、先天的な要素からの類型化。(四柱推命や星占い)
  • ひとつ、その瞬間の偶然性からの類型化。(タロットやおみくじ)
  • ひとつ、後天的な要素からの類型化。(手相や姓名判断)

調べてみると、それぞれ順に「命」「卜」「相」と呼ぶらしい。他に「医」と「山」を加え「五術」とも呼ばれているようだ。

一説には「命・卜・相」は経験則による記号類型化であり、霊感などといった非科学的な手法とは一線を画すとされる。 数千年に渡る統計データのサマライズと見做せば、そうとも言えなくもなかろう。 個人の経験を積み重ね、経験の集合となれば、それは歴史の一種であろう。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
オットー・フォン・ビルマルクの言である。

つまり、占いを信じるという行為は、歴史に学んでいるとは言えないか。占いに振り回されることもまた賢者たる証ではなかろうか。

幸い、巷には占いが溢れている。避けようとしても目に入ってしまうには充分な程度に。この現実を見るに、我々は賢者の世紀を生きている。

さて、今日も歴史に学ぶために、運を試そう。だって賢者なのだから。