ネジマキな日々

ただの独り言です。

心理的不協和とエントロピー、そして晩御飯

「目的が手段を正当化する」

トロツキーの言葉を引かずとも、よく耳にするフレーズだ。だがトロツキーの言葉には続きがある。

「なにかが目的を正当化する限り」

認知的不協和理論では行動と意志の間に不協和が生じた場合、意志が合理化され行動が正当化される。「洗脳」の原理だ。

>いずれにしても、熱力学が示す通り、二つの関連する事物の状態が異なる場合、平衡状態に向け変化する。エントロピーは増大するのだ。

現代を生きる我々は、ごく些細なものから人生を左右するものまで、大小様々な意志決定を日々行っている。「行動が意志を合理化する」にも関わらず。

我々に日々意志決定を迫り、日夜苦悩させる代表的な命題。

「今日の晩御飯に何を食べるのか?」

この命題に対する意志決定は二つの結末をもたらす可能性がある。

  • 美味しい晩御飯を食べる
  • 不味い晩御飯を食べる

誰も不味い晩御飯を食べたくはない。これに異論はないであろう。であれば、この意志決定は積み重ねると人生を左右しかねないほど重要である。

「行動は意志を合理化する」のだ。「晩御飯を食べた」行動は、食べたものは「美味しかった」に意志決定を正当化するのではなかろうか。結果は同じなのである。

そして今日も
「晩御飯何食べる?」
「なんでもいいよ」
というやりとりが繰り返される。