ネジマキな日々

ただの独り言です。

波打つ世界と私

超弦理論によると、宇宙の最小基本要素は弦であり、乱暴に言うと万物はその振動により表現されうるという。 万物が弦の振動により具現化されているとすると、世に現れる現象が波打つのは自然な振る舞いとは言えないか。 季節は春から夏、秋から冬へと巡り、酒場では老若男女が出会い、別れ、再び出会うという繰り返される日々を送っている。

政治や経済の世界も繰り返し波打っている。 市場では値上げたと思えば揺り戻し、値を下げてもやはり揺り戻す。 譲れない理念を唱えて、離散集合を繰り返すことも、やはり見ようによっては波打っているのではなかろうか。

テクノロジーの世界でもそうだ。 コンピューターが個人行き渡ったかと思えば、クラウドという集約が行われている。

価値観や流行り廃りも繰り返し波打っている。 一斉に近代化を目指したかと思えば、モダンを標榜し、挙国一致・経済成長を経て多文化共生と波打っている。 スカートもロングからミニ、またロングといつか発散すのではないかとさえ思う。

世界が波打つ以上、私も波打っているのであろう。 主観では一貫しているように感じているが、他者から見ると振れている場合もあろう。 主観と客観が一致しないというのは、ある種の真理かもしれない。 悩みというのは、多かれ少なかれ、その溝に生まれるものだから。

振り返ると、確かに自分の胴回りが波打っているかもしれない。 しかし、そういうことなのだろうか、いや多分違う。 これも主観と客観の問題か、いや現実逃避だろう。